月が好きである。
特に冬の夜空は澄み切って、星は鮮やかに瞬き、思わず溜め息が洩れるほど幻想的である。
月は自然界を不可思議な力で導く。

満月であれば、「こりゃー儲けたわい」と一人ほくそ笑む。
空手の稽古後、自宅の玄関先でしばし天を見上げる。
太古の昔より、古人は月を身近に感じて生きてきた。
“月見でダンゴ”
昔の人は何と粋な生活をしていたのだろう。
この歳になって伝統行事の良さが分かるようになってきた。

ここで月の話を一つ。

昔々、仲の良い猿と狐と兎が助け合いながら暮らしていた。
感心な獣たちの話を聞いた神様は天から地に下りてきた。貧しい身なりの年寄りになって。
お腹が空いて今にも死にそうな様子で、林の出口に座っていると、猿と狐と兎が仲良く歩いてきた。
神様は彼らに話しかけた。
「自分は幾日も何も食べていないので死にそうなほど苦しい。噂に聞けば、あなたたちは人間にも優る情の深い親切な獣たちだという。どうかこの哀れな私を救ってくれ」と訴えたのだった。
それを聞くと三匹は、
「それは気の毒なことだ」と言って、猿はすぐに林へ行き、木の実をたくさん集めてきて年寄りに食べさせた。狐は川原に行き、魚を獲ってきた。こうして猿と狐は大活躍をしたのに、兎だけがただあちこちうろついているだけで何もしてくれない。
神様は兎に向かって、
「お前様も猿さんや狐さんに負けないほど情け深いと聞いていた。どうか同じように哀れな私に何か恵んでくれないか」と頼んだ。
すると兎が答えた。
「自分とて同じようにあなたを気の毒に思うが、私には猿のような働きも出来なければ、狐のような知恵もありませぬ」と言ってしばらくじっと考え込んでいた。それから猿に向かって林に行って木の枯れ枝をたくさん拾って来てくれと頼み、それを積み上げてから狐に火を付けてもらった。
じっとその火が燃え上がるのを見ていた兎は、いきなり、その火の中に飛び込んだ。
「気の毒な旅のおじいさま、私は馬鹿で働きがなうて何もしてあげられません。どうか、せめてこの私の体の焼けるのを待って、この私の肉を食べてくだされ」と言うのが兎の最後の言葉だった。
なんと可哀相なことをしてしまったのだろうと、神様は泣く泣くその兎の焼け爛れた死骸を抱き上げて、そのまま天に昇っていった。そして、その兎の死骸を月のお宮に祀った。

3月4日は今冬最後の満月の日。
どうか晴れますように。

*猿と狐と兎の物語は、福島民報連載中の工藤美代子著「恋雪譜」文中の相馬御風著「良寛坊物語」より引用。

コメント

nophoto
ひろ
2007年2月16日22:54

ローマ神話で月の神はルナ、狂気を表す言葉はルナティック、月は人を狂わせる物らしいですね。たしかに俺も満月の夜は狼男になります。

朴念仁
スター
2007年2月17日10:34

血が騒ぎますね。
満月の夜は犯罪が多いとか、出産が多いとかもあるようですし。
狼男の気持ち、よく分かります。

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