10.米と異なるもの(前編)
2007年2月27日 日常糞、雲古のこと。
これから食事をする人は読まないでいただきたい。
平気な人は、どうぞ。
糞の思い出。
誰にでも一つや二つはあるだろう。
私は一つや二つどころではない、結構ある。
自慢することではないが、人間として必要不可欠な、重大な事柄なので表題とした。
まず思い浮かぶのは母の実家の便所。
離れにあって、木戸を開けると四角い穴が空いているだけの“どっぽん便所”.
ここは俺の縄張りである、とでも主張するように、いつも黒色の虻が穴の回りを旋回していた。
床は、小学生の身の重みでさえやっと支えるほどの薄い板切れ1枚で、嫌な軋みが一層心細さを煽った。
臀拭きは新聞紙であったり、凹凸のある塵紙であったり、それが紙製の菓子の空き箱に納まっていた。
便所の穴を覗くと、不気味に黒々として、陽の射し具合によっては黄金色の水面がゆらゆら光って見えた。
黒々としたその穴から、何者かの手がにょろりと臀を撫でそうで、急いで用を足したのを覚えている。
夜中に尿意を催したら最悪である。
祖母、あるいは妹や弟を起こして便所に付き合わせた。
その便所には子供心に人間の及ばぬ世界を感じた。
便所神。
便所に居ると信じられていた神で清潔を好む神である。
雪隠神とも云う。
仏教では烏芻沙摩明王(うすさまみょうおう)と称して崇めている。
会津では、赤ん坊のお七夜を祝う時、産婆がその地方の風習の供物を持ち、雪隠参りをしたそうだ。
この日を赤ん坊が初めて外出する日として尊び、橋を渡らない近隣の三戸の便所を拝み回り、便所神のご守護で、赤ん坊が健康で幸福に育つことを祈る習いがあった。
古人は、身の回りの至る所に神が居ることを信じ、謙虚に生きたのである。
※便所神の説明は「会津大辞典」より引用。
これから食事をする人は読まないでいただきたい。
平気な人は、どうぞ。
糞の思い出。
誰にでも一つや二つはあるだろう。
私は一つや二つどころではない、結構ある。
自慢することではないが、人間として必要不可欠な、重大な事柄なので表題とした。
まず思い浮かぶのは母の実家の便所。
離れにあって、木戸を開けると四角い穴が空いているだけの“どっぽん便所”.
ここは俺の縄張りである、とでも主張するように、いつも黒色の虻が穴の回りを旋回していた。
床は、小学生の身の重みでさえやっと支えるほどの薄い板切れ1枚で、嫌な軋みが一層心細さを煽った。
臀拭きは新聞紙であったり、凹凸のある塵紙であったり、それが紙製の菓子の空き箱に納まっていた。
便所の穴を覗くと、不気味に黒々として、陽の射し具合によっては黄金色の水面がゆらゆら光って見えた。
黒々としたその穴から、何者かの手がにょろりと臀を撫でそうで、急いで用を足したのを覚えている。
夜中に尿意を催したら最悪である。
祖母、あるいは妹や弟を起こして便所に付き合わせた。
その便所には子供心に人間の及ばぬ世界を感じた。
便所神。
便所に居ると信じられていた神で清潔を好む神である。
雪隠神とも云う。
仏教では烏芻沙摩明王(うすさまみょうおう)と称して崇めている。
会津では、赤ん坊のお七夜を祝う時、産婆がその地方の風習の供物を持ち、雪隠参りをしたそうだ。
この日を赤ん坊が初めて外出する日として尊び、橋を渡らない近隣の三戸の便所を拝み回り、便所神のご守護で、赤ん坊が健康で幸福に育つことを祈る習いがあった。
古人は、身の回りの至る所に神が居ることを信じ、謙虚に生きたのである。
※便所神の説明は「会津大辞典」より引用。
コメント