15.本

2007年3月17日
「“樅の木は残った”、良かったよ。仙台藩の伊達騒動だね。良い本紹介してもらって、今度会ったらお礼を言おうと思ってた。読んでいくうちに、原田甲斐が俳優の加藤剛と重なって。船岡にも行ったけど本当に樅の木が残っているんだね。」

「え、もう読んだのが。ちょっと女には読みづらいと思ってたけど。すげぇな。喜んでもらえると勧めた方も嬉しいよ。この本が理解出来んだと、おめぇは見かけは女でも中身は男だよな。」

月一で行なわれる中学校の同級会での会話。同級会と言っても集まって精々5名程度。
他愛もないお喋りで過ごす気楽な呑み会だ。

「好きな作家は誰。」
「“氷点”の三浦綾子、“寺内貫太郎一家”の向田邦子かな。氷点はいいよ、今度読んでみっせ。」
「女流作家のものはあんまり読まねぇんだけど。勧めた本、早速読んでくれたから俺も読まねぇわけにはいかねぇよな。じゃあ読んでみっか。次の呑み会の時、感想言うよ。」

“樅の木は〜”は、反骨の作家、山本周五郎氏のものだ。
高校を卒業して、明確な目的もなく大学進学、中退、浪人、専門学校、中退と、東京での無為な、腐り切った生活に、山本氏の著作品は、自己嫌悪に固まった私の心に、小さいけれど明るい光を射し込んでくれた。
友人、知人との交わりを避け、孤に籠もり、自分との対話しかなかった生活の中でどれだけ支えられたか知れない。
人生の敗残者になったかのように、打ち萎れて会津に戻り、しばらくくすぶっていた殻を、数年掛かって、ようやく破り壊すことが出来た。
私に対して一度たりとも愚痴を零さなかった家族、そして、いつも身近に本があった。

同級生から細かな感想を述べられ、もう一度、記憶を辿ろうと 、これで三度目の“樅の木は〜”を読み始めた。

三浦綾子女史の“氷点”を近くの書店で探したが見つからず、図書館に足を運んでも書棚にはなかった。
他にも読みたい本があったのでネットで手配した。
届けられるまでに何か読んでおこうと再び図書館を訪れ、エッセーを含め三浦女史の本を三冊借りた。
借りたその日のうちに、エッセー一冊(「私にとって書くということ」)読み終えた。

“愛には愛の、あるべき姿が当然なければならないと思う。愛はもっときびしいもので、もっとすがすがしいもので、もっと正義を含んだものでなければならないように、私は思う。私たちは人を愛することによって、多くの人を悩ませ、悲しませてしまう場合がある。それは往々にして誤った愛し方をするからではないだろうか。”

“肉体の死は決して人生の最後ではない。死後には神の厳然たる審きがある。且つ永遠の希望がある。”

もう一人、好きな作家が増えそうである。

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