| メイン |
この時期、ドリームジャンボ宝籤が販売中である。
以前は、宣伝用の幟旗に気持ちも煽られ、一攫千金を夢見て、懲りずに、突発的に絶え間なく、せこく、宝籤を買った。
特に年末ジャンボ宝籤の購入の時は気合が入った。
もしも1等宝籤が当たれば、過ぎ去りし日々、踏んだり蹴ったりの地団駄を踏む散々の人生であったにしても、そんな浮世の波なぞ全てご破算、めでたし、めでたしと相成る。
浮かれた正月気分がそれに拍車をかけた。
晦日の抽選会を無視して、翌日の朝刊に思いを馳せる。
晦日の晩は取らぬ狸の皮算用式に思いを巡らす。
どこそこの銀行にどれだけのお金を目立たぬように分配しようか。
如何に目立たぬように陋屋を建て直そうか。
老後に備え、病院の近くに、買い物に便利で、交通の便が良く、除雪の心配がないセカンドハウス、そんな立地条件を満たしたマンションを如何に人知れずに購入しようか。
レンジローバーを購入したいところだが、如何にもこれ見よがしなので、そこそこの国産車で誤魔化してやろうか。
職場で不意に洩れる一人嗤いを、同僚たちに如何に悟られないようにしようか、とか。
思い巡らすと切りがなく、終いには興奮して寝付きが悪くなる。
元旦の朝、折込みチラシでいつもより数倍重くなった朝刊を手に心は躍る。
「目の前にある福は逃げはせん」と逸る気持ちを抑えるように一枚一枚チラシに目を通した後、徐に新聞をテーブルに広げる。
両手には買った宝籤が15枚。
1等前後賞の旨味も外し難く、連番10枚と、少ない軍資金で少しでも当る確率が高くなるようにバラで5枚、締めて僅か4500円で俗な夢を買う。
朝刊の籤番号を喰い入るように見る。
期待に胸膨らませ、1等の番号を呪文のようにぶつぶつ唱えながら手元の宝籤に目を移す。
1等、該当なし、外れ。
「本数も少ないし仕方ない、まぁいいだろう」、一人合点し、次の当りに期待を寄せる。
1等前後賞、外れ。
これも仕方ない。
1等の組違い賞、外れ。
これも仕方ない、か。
2等、外れ。
大きく膨らんでいた期待の風船は徐々に萎み、3等外れ、4等外れ、ラッキー賞も外れ、5等300円お情けの当りのみ。
これで完全に風船は萎み、夢は幣えた。
“会津若松市の某販売所から1等大当り!”
この記事を目にした途端、今此の時、その当選者が市内のどこかでほくそ笑み、喜びに浸っているかと思うと、無性に其奴が恨めしく思えてきた。
これが中通り、浜通り地方、ましてや県外の話であればこんな下衆な思いに囚われることはない。
用意周到には程遠いが、生涯一度の夢のような購入計画が、会津の、他の人間に奪われたと考え違える捻くれた愚かな欲、それがどろどろと溢れ出す。
宝籤が外れたことよりもそう思い至った、腐った自分に腹が立つ。
目出度い正月に何と愚かな、これが一昨年までの我の姿。
20代の頃はもっと度し難い莫迦だった。
若さ故の恥じ知らずと云えば救いがあろうか。
大金が転がり込んだらインターチェンジの近辺にラブホテルを建てよう、人材派遣業を起そう、人より楽に、見掛け良く、小狡く暮らしたいと思っていた。
老若男女へまぐわう場を提供することに、自分は額に汗することなしに他人の上前を刎ねることに、然したる疑問も抱かず、屁にもならない大義名分に隠れてそう思っていた。
誰にでも転機は訪れる。
それに気付くか気付かないか、気付いても気に止めないか。
本人次第。
幸いにして私にも転機は訪れた。
それからと云うもの、何かのスイッチが入ったかのように自分の内部で変わった。
多少の負け惜しみはあるが、他人と自分を比べないことにした。
お金がないことを嘆かないようにした。
宝籤を買うことに、喉に小骨が引っかかった程度の抵抗を感じるようになった。
自分に正直に行動したいと思うようになった。
自分が今置かれている境遇に不満を洩らすことが少なくなってきた。
身の丈に合った生き方をしたいと思うようになった。
足るを知るようになった。
見えないものの大切さを知り、何を大切にしなければならないのか、優先すべきものを知った。
生かされている自分。
奇麗事だけでは喰っていけない薄汚い人間界だが、魑魅魍魎の輩が蠢く世にあってもぎりぎりの線で踏み止まれるだけの信念は手放したくない。
以上、偉そうに人生を達観したようなことを書き連ねながらも、購入回数は減ったが以前として宝籤を買うことを止めてはいない。
日々の生活に汲々しながら心のどこかでは一攫千金を夢見ている。
“富貴なること慳貧なり”
最近、ドリームジャンボ宝籤発売の広告を目にすると、本阿弥妙秀さんの言葉が妙に心に刺さる。
以前は、宣伝用の幟旗に気持ちも煽られ、一攫千金を夢見て、懲りずに、突発的に絶え間なく、せこく、宝籤を買った。
特に年末ジャンボ宝籤の購入の時は気合が入った。
もしも1等宝籤が当たれば、過ぎ去りし日々、踏んだり蹴ったりの地団駄を踏む散々の人生であったにしても、そんな浮世の波なぞ全てご破算、めでたし、めでたしと相成る。
浮かれた正月気分がそれに拍車をかけた。
晦日の抽選会を無視して、翌日の朝刊に思いを馳せる。
晦日の晩は取らぬ狸の皮算用式に思いを巡らす。
どこそこの銀行にどれだけのお金を目立たぬように分配しようか。
如何に目立たぬように陋屋を建て直そうか。
老後に備え、病院の近くに、買い物に便利で、交通の便が良く、除雪の心配がないセカンドハウス、そんな立地条件を満たしたマンションを如何に人知れずに購入しようか。
レンジローバーを購入したいところだが、如何にもこれ見よがしなので、そこそこの国産車で誤魔化してやろうか。
職場で不意に洩れる一人嗤いを、同僚たちに如何に悟られないようにしようか、とか。
思い巡らすと切りがなく、終いには興奮して寝付きが悪くなる。
元旦の朝、折込みチラシでいつもより数倍重くなった朝刊を手に心は躍る。
「目の前にある福は逃げはせん」と逸る気持ちを抑えるように一枚一枚チラシに目を通した後、徐に新聞をテーブルに広げる。
両手には買った宝籤が15枚。
1等前後賞の旨味も外し難く、連番10枚と、少ない軍資金で少しでも当る確率が高くなるようにバラで5枚、締めて僅か4500円で俗な夢を買う。
朝刊の籤番号を喰い入るように見る。
期待に胸膨らませ、1等の番号を呪文のようにぶつぶつ唱えながら手元の宝籤に目を移す。
1等、該当なし、外れ。
「本数も少ないし仕方ない、まぁいいだろう」、一人合点し、次の当りに期待を寄せる。
1等前後賞、外れ。
これも仕方ない。
1等の組違い賞、外れ。
これも仕方ない、か。
2等、外れ。
大きく膨らんでいた期待の風船は徐々に萎み、3等外れ、4等外れ、ラッキー賞も外れ、5等300円お情けの当りのみ。
これで完全に風船は萎み、夢は幣えた。
“会津若松市の某販売所から1等大当り!”
この記事を目にした途端、今此の時、その当選者が市内のどこかでほくそ笑み、喜びに浸っているかと思うと、無性に其奴が恨めしく思えてきた。
これが中通り、浜通り地方、ましてや県外の話であればこんな下衆な思いに囚われることはない。
用意周到には程遠いが、生涯一度の夢のような購入計画が、会津の、他の人間に奪われたと考え違える捻くれた愚かな欲、それがどろどろと溢れ出す。
宝籤が外れたことよりもそう思い至った、腐った自分に腹が立つ。
目出度い正月に何と愚かな、これが一昨年までの我の姿。
20代の頃はもっと度し難い莫迦だった。
若さ故の恥じ知らずと云えば救いがあろうか。
大金が転がり込んだらインターチェンジの近辺にラブホテルを建てよう、人材派遣業を起そう、人より楽に、見掛け良く、小狡く暮らしたいと思っていた。
老若男女へまぐわう場を提供することに、自分は額に汗することなしに他人の上前を刎ねることに、然したる疑問も抱かず、屁にもならない大義名分に隠れてそう思っていた。
誰にでも転機は訪れる。
それに気付くか気付かないか、気付いても気に止めないか。
本人次第。
幸いにして私にも転機は訪れた。
それからと云うもの、何かのスイッチが入ったかのように自分の内部で変わった。
多少の負け惜しみはあるが、他人と自分を比べないことにした。
お金がないことを嘆かないようにした。
宝籤を買うことに、喉に小骨が引っかかった程度の抵抗を感じるようになった。
自分に正直に行動したいと思うようになった。
自分が今置かれている境遇に不満を洩らすことが少なくなってきた。
身の丈に合った生き方をしたいと思うようになった。
足るを知るようになった。
見えないものの大切さを知り、何を大切にしなければならないのか、優先すべきものを知った。
生かされている自分。
奇麗事だけでは喰っていけない薄汚い人間界だが、魑魅魍魎の輩が蠢く世にあってもぎりぎりの線で踏み止まれるだけの信念は手放したくない。
以上、偉そうに人生を達観したようなことを書き連ねながらも、購入回数は減ったが以前として宝籤を買うことを止めてはいない。
日々の生活に汲々しながら心のどこかでは一攫千金を夢見ている。
“富貴なること慳貧なり”
最近、ドリームジャンボ宝籤発売の広告を目にすると、本阿弥妙秀さんの言葉が妙に心に刺さる。
| メイン |
コメント