3、4年前の或る日、何気なく見た店舗のガラスに映る人物と目が合って驚いた。
否、驚いたと云うより、愕然としたに近い。
誰だ、俺をじっと見つめるこの変な親爺は。
その親爺は、猿のように額に三本皺を寄せ、毛髪は側頭部に残るのみで、燦々と降り注ぐ陽に照らされた前頭部は陽の光を反射するように照り輝いている。
十人位の孫に取り囲まれてもおかしくない年代の猿親爺は、よく見ると私と同じ服を着て私を見ているのだ。
そう、ガラスに映るそいつは紛れもなく私、だった。

文章にすると長くなるが、この間数秒である。
たった数秒間で現実を突きつけられた。
これが俺か。
現実は冷やかである。

7年前位から頭髪の薄さが気になり始めていたが、陽の下や照明の下に入れば光加減によって誰でもそう見えるもので、気のせいだろうと自分を誤魔化していた。
それが、この時は見えぬ何かに頭をがばっと鷲掴みにされ、これが今のお前の姿だ、よく見ろ、とガラスに押し付けられたような強い衝撃を受けた。

決して大袈裟に誇張して云っているのではない。
こんな些細な心情の揺れを身内にさらりと吐露することもできずに秘かに胸の内に隠していた。
便所で、洗面所で、風呂場で、鏡に映る自分の顔を見る度に目を背けた。
鬘で禿げを隠す人間の気持ちが少しだけ分かった。

理髪店で、禿げを誤魔化すには何色で染めたらいいか、とまで聞いた。
店主は、日本人は黄色がいいと教えてくれた。
なるほど、イエローモンキーと蔑称された黄色人種には相応しい色だ。
そうして一時、禿げを誤魔化そうと染めた。
だが、色気付いたような自分に反吐が出るほどの嫌気が差し、すぐに染めることを止めた。
芸能人でもあるまいし、さすがに黄色に染める勇気はなかった。

時間は有り難い。
取るに足らぬ愚かな気掛かりや、悲しみ、辛さも、頭上で吹き荒れる嵐が過ぎ去るのを静かにじっと待っていれば元の状態に戻るように、時間が解決してくれる。
禿げであろうが何だろうが、俺は俺、俺自身に何も変わりはない、そう思えるまでにどの位の時間を要したろう。
半年か、1年か。
卑しくも恥ずべきことは、禿げの自分を人生の落伍者のように見なし、ただ見掛けだけを気にしていたこと。
今振り返ると実にくだらない。

祖父を思い出す。
母方の祖父は前頭部から頭頂部にかけて見事に禿げ上がり、その祖父が若かりし頃(此の頃から禿げていた)にパン屋を営んでいたそうで、それで近所の悪餓鬼どもに渾名を付けられ、よく囃し立てられたと母が話してくれたことがあった。
祖父に付けられた渾名は、“禿げパン”。

祖父の相貌を思い返すと確かにその禿げ方は私と似ている。
隔世遺伝。
血筋は争えないものだ。

祖父の話が出たところで先祖についてだが、所詮一介の水呑み百姓に過ぎない系統だろうと思っていたが、それはそれで喰うや喰わずの生きにくい世の中をしぶとく生き抜き、平成の世にしても子孫が生き残っていることは、唯々先祖に対して頭が下がるばかりである。
ところが、どうもそうでもないらしい。

以前から会津で有名な拝み屋さん(こんこん様とも云う)の噂を何度も耳にして、それが好奇心を煽り、一昨年、到頭足を運んだ。
特別驚くことはなかったが、そこで飼われている猫の佇まいにただならぬ“もの”を感じ、息呑む思いをした。
人間には見えなくても動物には何かが見えるようである。
さて、その辺の話はまたの機会にしたい。
そこで言われたことは、先祖は、豪族、武士である、と。
しかもその先祖の名前まで教えられた。
半信半疑であったが、先祖が武士と云われれば悪い気はしない。
日置かずして、脳軟化が進行している頭では云われたことはすぐに忘れてしまった。

それが、洗面所に映る己が禿げ面を見た或る日、先祖が武士と云われたことが不意に思い出された。
さては、この禿げは先祖が武士であった時分の月代の名残なのかと頭をつるり撫で回した。
武士の時代であれば髷を結い、さぞや大手を振って町中を闊歩したことだろう。

平成や いと口惜しき 禿げ頭

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