某誌から引用した2編。
(命)
口から釣り針を外そうと
岩魚をそっと握った
岩魚がきゅっと啼いた
一瞬、おれの心もきゅっと啼いた
むざむざ殺しはしない
お前の生命はしっかり喰ってやる
だから
成仏しろ
(畜生の唄)
知っているか
動物、植物の、累々とした屍の上で胡坐をかく
お前ら人間どもは
幾つもの命の翳に今があることを
人間も畜生
畜生は
畜生なりに無様に生きる
自らの命を
自ら絶つことなく
畜生以下の卑怯者同士が
寄り添い
自らを裁く
自惚れ果ての
卑怯者
腐りに腐って
異臭を放つ襤褸雑巾に成り果てようと
お前ら人間は
死ぬまで生きる
運命にあるを知れ
お前らに喰われるために
お前らの生命となるために
死んだ命を知れ
(命)
口から釣り針を外そうと
岩魚をそっと握った
岩魚がきゅっと啼いた
一瞬、おれの心もきゅっと啼いた
むざむざ殺しはしない
お前の生命はしっかり喰ってやる
だから
成仏しろ
(畜生の唄)
知っているか
動物、植物の、累々とした屍の上で胡坐をかく
お前ら人間どもは
幾つもの命の翳に今があることを
人間も畜生
畜生は
畜生なりに無様に生きる
自らの命を
自ら絶つことなく
畜生以下の卑怯者同士が
寄り添い
自らを裁く
自惚れ果ての
卑怯者
腐りに腐って
異臭を放つ襤褸雑巾に成り果てようと
お前ら人間は
死ぬまで生きる
運命にあるを知れ
お前らに喰われるために
お前らの生命となるために
死んだ命を知れ
コメント
私もよく若い頃?は渓流釣りをしたものです。私が生きて来た時代は、とても貧しく川魚は貴重な淡白源でした。川魚もまた小さな昆虫を食べ生き長らえてきたのだと思います。
川魚にはて?食べられた昆虫の気持ちがわかるのでしょうかね。
昔は生きる為に動物を戒めたかもしれませんが、その恵みに感謝し山、海、川の神に感謝しお供え物をしていました。
今は、物が溢れ眼に余るものが増え人は自己中心に物事を解釈するようになってきていますね。自然環境保護と言って保護を呼びかけていても一番困っているのは人間で、動物たちは日々生きることに一生懸命ですね。
私もたまたま人として生まれたきたに過ぎない、もし私が岩魚だとして人に釣られ食べられとしたなら、それは仕方がないことだと思うかもしれません。私も昆虫を食べ生き長らえてきたのですから。
人は知恵が有るからこそ権力を欲しがり、欲望に生き、常に人と比べたがりますね。自然、動物たちはどうでしょう今を一生懸命に生きているただそれだけの事ですね。
井の中の蛙さんの日記を拝見していると常に他者とのジレンマ、そして自分の欲求の不完全燃焼を感じられます。
自分がどう生きていきたいかは自分自身が知っているはずです。人の事が眼についたりすることは、自分自身の生き方に納得してないからだと思いますよ。
それとは、関係なく春、夏、秋、冬と香りがある事を還暦を過ぎ感じられました。きっと病状について居る身だからかもしれませんね。(笑)
まだ己自身に何の力もなく、ましてや形になっていないから過ぎ去る時間、残された時間に焦りを感じています。
以前よりまともな考えを持つようになりましたが…。
哲学的にでも宗教的にでもなく、人間は何ものなんだろうと最近、霞立つ脳味噌で考えるようになりました。
集団自殺、秋葉原の殺人事件、ロシアの武力介入による殺戮、異常性欲によって引き起こされる殺人、死刑執行など、誰にも咎められることのない殺人、公に認められる殺人、罰せられる殺人。
ニュースを見ながら感じることは、悪事に手を染める者を口汚く罵りながら、そう批難しながらも妙な感情が自分の中で沸き起こることです。
お前は絶対に殺人を犯さないのか、必ずや悪を為さないのかと。
その問いに対して深く頷くことはできません。
あるいは自分も、その危うさを抱えています。
その危うさは程度の差こそあれ、私や犯罪者だけではないでしょう。
それが暴発しやすい、招きやすい世の中になってしまったと思います。
今後も私の日記は時折不満を激しく噴出させることでしょう。
その先に掴むものがあればいずれ何らかしらの形になると信じています。
病状を抱えているからこそ見えてくるものがあります。
とは言え、健康であることは何にも勝る宝でもあります。
お身体、くれぐれもお大事にしてください。
お気にかけていただいて、いつもありがとうございます。 (8月11日21時14分 スター
力が無い形になってないは、ただの言い訳、始める前から壁を作っているのは自分自身です。
行動をして初めて自分の力の無さを痛感するものです。色んな柵があると思います、その中で自分のやれる事を見つけて行けば道は開けますよ。
私の生命もいつ途切れるかはわかりません、だからこそ今出来る事をしているだけに過ぎないのですよ。例えば井の中の蛙さんの日記を読む事もですよ(笑)
卑劣な事件がある世の中だからこそ、それに惑わされず自分の生きたい道に進む様、日々なにかを貪欲に探す事ですかね。
ある人が書いた書物に(人は何の為に生きてるのか?それは楽しむ為に生きれ)のだと書かれていました、勝手な解釈だけれど勇気ずけられました。