51.正月

2010年1月9日 日常
仕事上、数年来の付き合いある方が職場に年始の挨拶に訪れた。
雑談の中で、今年は一般家庭の玄関の正月飾りが少なくなった、そんな話があった。
「不況なのは分かるが、それで節約の意味で飾らないのは寂しいね」
そう言われてみれば、車のフロントに正月飾りをしていたのも昔の光景になってしまったと今更ながら気付いた。
本来、車に必要なものなのかどうかはさておき。
お節や餅喰って、酒呑んで、テレビ観て、ごろ寝して、それだけが正月ではないのは誰もが承知のはず。
歳神様のお迎えと祖先の供養が主で、そのおこぼれで俗世の人間が餅や酒を口にする。
それを呑み込んでいればたかだか数百円の正月飾りを節約するのもどうだろう。
アパート、マンション等の住宅事情や、一人暮らしなどの家庭事情もあるので一概に批判めいたことは言えないが。
挨拶に来られたその方は社会の第一線から退き、区長の立場にもある。
町内会を歩き、一戸建ての家々を見てそう感じたのだろう。
年賀状の売れ行きも良くなかった、そんな話もあった。
求人率の落ち込みや景気好転の兆しが見えない中で、特に若年層ではメールの広がりもあり、ひと手間で金もかかる年賀状は敬遠されているのだろう。
日頃付き合いのない方との年賀状のやり取りは、お互いが生きているかどうかの近況報告だけのようで寂しくもあり釈然としないが、届けば届いたで郵便のアナログ的なぬくもりが感じられる楽しみも、ないでもない。
ただ、印刷だけの文字、一文も肉筆が添えられていない賀状を見ると興醒めさせられ、来年は出すのを止めようかとも受け手に思わせる。
呆れたのは、いい歳をした中学校時代の同級生がゴテゴテしたイラストを付けてメールで携帯に年賀の挨拶を送ってきたこと。
相手にもよるが、それに付き合うほど無邪気な質ではないので黙殺した。

「不況だからと言って節約する対象が違うだろう。
そうやって大事な心を削っていく。
見えないもの、だからこそ大切なのに、それを喪っていく。
それを教える年寄り、家族がいなくなった。」
と、それでその方との話を終えた。
年頭の午前中からこんな会話ができるとは思っていなかった。
会津の、身近なところに、こんな話をしてくれる人生の先輩が一人でもいてくれたことが有り難かった。

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