昨晩、芋焼酎で酒呑童子のように酔っ払い、テレビを観ていた。
全日空機役員の記者会見の一コマ。
常務がお詫びの言葉を述べる。
「まず初めに詫びを入れるのは常務じゃねえべ、社長だべ」
テレビに向かい文句を言う。
そこに社長の姿はなかった。

「社会全体、すっきりとした潔さがねぇ。ほんとにごせやげる。」
「松岡農水相、おめぇもだ」
「松岡農水相に引導を渡すか否か、安倍首相の潔さ次第だな。」

この日はいつもより口も滑らかに、テレビに吠える酒呑爺であった。
某より送られし月の詩。

朱に染まりし朧月

此の世を憂い、染まりしか
此の世を嘆き、染まりしか
儚き浮き世、塵芥
何れ屍晒す身なれど
月みて思わん

天心にあり満つ月の
床に臥したる屍の群れ
数多魂宙に舞い
数多魂吸い上げて
明日をも知れぬ命なり

四十六億年の地の球よ
汝は此の世に光れりか
屍盛りて果てるのみ
魂は光となるものか
月は闇夜に光おり

玄に染まりて朧月
糞の検査は必要である。
同様に、糞を提出するまでの行為も、人間にとって大切なことである。

現在の家庭の便所環境は、その多くは水洗化、洋式化し、それに洗浄、マッサージ、乾燥と驚くべき機能を備え、なかには便座の蓋が自動開閉するものもあり、ズボンをずり下ろして臀を差し出せば、あとはスイッチ一つで済んでしまう始末だ。
最近の新しい病院、飲食店でもそうだ。
たかが便所でありながら我が拙宅よりも遥かに居心地が良いところもある。

清潔である。
姿勢が楽である。
誠に快適である。

されど糞が見えない。
糞が便器の水の底に落ち込んで、その上に臀を拭いた紙が重なって見えない。(拙宅のそれには脱臭機能を優先させたので乾燥機能はない。よって洗浄したら便所紙で臀穴の水分を拭う。)
その点が不満である。

検便の度に痛く感ずる。
一日一回は自分の糞をまじまじと見る習慣を持つべきだと。
歯間ブラシもどきで糞を刮げ採る時、むっとする糞の臭いを嗅ぎ、間接的に手に伝わるその軟らかさを感じながら、“人間である前に動物である自分”を生々しく実感する。
拙宅を縄張りとして悠然とマーキングしてのし歩く野良猫、その猫が残す糞と同じものなのだ。
糞、糞と何を力んで書き込んでいるのか、“阿呆な奴”と読者は蔑むだろう。

己が糞を見て、“さもしい人間の驕り”を己の中に見てしまうのである。

日常、何も気付かないままに、密やかに己を人間様と崇めていた事実を教えられ、はっとするのである。

“臭いものに蓋”
現代の子供たちは、生まれて物心付いた時から自分の糞を見ずして済む“臭いものに蓋”の環境にある。
これは糞に限ったことだけではない。
一部の人間の都合で、“臭いものに蓋”となる隠蔽体質の、病巣を抱えた現代社会の姿でもある。

“臭いものに蓋”をしてはいけないのである。

いじめの一因に食事が上げられている。
善く善く咀嚼しなくとも容易に胃袋に納まるスナック菓子やファーストフード、炭酸飲料などがキレやすさを招くとも云われているが、食卓に並ぶ肉、魚料理にも原因があると。
鶏、豚、牛、馬、魚…。
これら動物は、我ら人間どもに喰われるために皮を剥がれ、細かく切断され、贓物が取り除かれ、骨から肉が削ぎ落とされ、終いにはミンチにもされて原形なくして店頭に並ぶ。
自ら手を下し、動物を殺し解体している訳でもなし、その過程を見ている訳でもないから、動物の命を奪い、その肉を喰らっている実感が皆無である。

人間も畜生である。

数知れぬ動植物を殺し、その上に人間の生は成り立っている。
その事実を、現実的に、謙虚に受け止める環境にないから、うそ寒いおかしな事件が発生するのかもしれない。
その事実を認識させるために、実際に子供の目の前で動物を屠殺し、捌いて喰わせれば手っ取り早くもあるが、昔のように鶏を絞めてお客をもてなした、または、狩猟によって得た獣肉を食する環境が身近にあった時代とは違う世の中において、今の子供たちにはそれら事実を受け入れる精神的下地がないのだから、逆に問題も出て来るだろう。

“世の中、綺麗事ばかりだけではない”
これは、“清濁併せ呑む”と同じような此の世の悪を肯定する喩えとして使われ、汚職でマスコミを騒がせた各県の前首長らが吐きそうな言葉でもあるが、事、糞の存在に関しては正にその通りなのである。

糞は人間に教えてくれる。
驕りと、人間どもに喰われる動物と同等の命を。
そして、有り難くも自己の健康状態をも。

検便を侮るなかれ。

(終わり)
次に検便。
社会人のそれは別として、私の記憶ではどうも小学生の頃しか記憶にない。
担任の教師から直径2、3?位の小さな、白いプラスチック製の容器(器と云うほどのものではない)が渡され、指定日に持参するようにと言われた。
「またかよ」
その度に心の中で舌打ちしたものだ。

その頃、まだ水洗便所は浸透しておらず、当然、洋式の便所なんて聞いたことがなかった。
大半は、金隠しがあって跨がってする和式の、落とし穴を覗けば、こんもりと、糞と、臀を拭いた塵紙が堆く頂になって見えた。
要は、母の実家のそれに便器が付いて足場の板敷きが頑丈になっただけの“どっぽん便所”であった。

提出当日、母は厳かな儀式を始めるかのように、慎重に便器の脇の板場に新聞紙を敷きつめた。
便器に用を足すのではなく、その新聞紙の上に用を足せ、と云うのだ。
尿はどうしたか。
普通、糞をひねり出せば自然と尿も出てくるものだが、新聞紙に脱糞した後、すぐ便器に臀をずらし放尿したのだろうか。
広くない便所内でズボンを下げたまま、臀も拭かずに移動出来るものか。
子供にその切り替えは至難の業である。
下手すると糞で床、足を汚してしまう。
であれば、しゃがむ前に放尿したのか。
気になる。
最近、頓に記憶の断片を思い起こすことが困難となり、躍起になって思い出そうとすると、その断片が掴まえようとする手からするりするりと抜け出るようで、至って精神衛生上良くないのでこの辺で止める。

儀式は続く。
私の役割を終えた後、母は爪楊枝を手に便所に入り込んだ。
新聞紙に脱糞したばかりの、ほかほかの湯気が立ち上る糞に爪楊枝をすっと差し込み、適量を引っ掛けるように掬い上げてプラスチックの専用容器にその爪楊枝を移した。
容器の回りを汚さないよう、その縁に爪楊枝を引っ掛け、慎重に糞を引き落とした。
無事、綺麗に納まったことを確認し、パチンと蓋をする。
新聞紙の残りの糞は便器に落とし、その新聞紙はゴミ袋に入れて処分した。
糞の納まった検便容器は、薬局で薬を処方してもらう時に薬を入れるような小さな紙袋に入れ、万が一に洩れた時、あるいは防臭のために更にその上から二重にしたビニール袋で包んだ。
子供に兄弟が多いと、この儀式を繰り返さなくてはいけないので母親は大変である。
私のところは都合3回あった。

検便を話題にして職場の同僚と話しをした。
同僚も私と同じ世代で、その方法も便器の脇に新聞紙を広げての口だった。
初めての検便は同僚にとって強烈な印象があったようだ。
同僚の母堂は、爪楊枝ではなく割り箸を使い、糞の臭いにおぇっーと空嘔吐の声を吐き、目に涙を溜め、顔を背けながら検便容器に糞を入れた。
その母の姿を傍目に見た同僚は、
「成長するにつれ赤ん坊の糞と違ってえらく臭くなるんだなって、子供ながらに実感したよ」
その話に思わず吹き出してしまい、私の目にも涙が溜まった。

検便は、回虫検査を目的に行なっていた。
人糞尿が農作物の肥料に使われていた時代、土が寄生虫の感染源となり寄生虫病が蔓延、その頃の日本人の70%が感染していた。

私の親の世代は、糞をマッチ箱に入れて学校に持参したそうだ。
「マッチ箱から溢れんばかりにたっぷりと雲古を入れこんだ子もいたよ」
母が笑いながら話すのを聞いて、時代は変わっても子供時代の糞の話題には事欠かないものだなと妙な感心をしてしまった。
マッチ箱では糞が染み出し、教室中がその臭いで充満したことだろう、と余計な心配までも。

検便の方法も現物を専用容器に入れる方法から、朝起きがけにセロテープのようなものを肛門に貼り付け、寄生虫の卵の有無を調べる方法(説明書きにキューピー人形のイラストをモデルにしてあったような記憶がある)、社会人になっては職場の健康診断の一項目として、歯間ブラシのようなもので糞の表面を刮げ採り、それを検査液が入った4、5?の細長い容器に差し込んで蓋をする方法という具合に、回虫検査から便潜血反応による大腸癌検査へと検査目的が変わった。
私の一回り下の世代であれば、小学時代から社会人の健康診断と同じ“歯間ブラシもどき差し込み方式”で検便を行なったそうだ。
寄生虫感染の心配がない世代は初めから大腸癌検査とは、食の変化がそうさせたのか深刻さが増すばかりだが、さてさていかに。
もしかすると、その目的は、次回の「米と異なるもの(後編)」の記述内容であったら驚きである。
いや、間違っても、それはない、だろうな。
糞、雲古のこと。
これから食事をする人は読まないでいただきたい。
平気な人は、どうぞ。

糞の思い出。
誰にでも一つや二つはあるだろう。
私は一つや二つどころではない、結構ある。
自慢することではないが、人間として必要不可欠な、重大な事柄なので表題とした。

まず思い浮かぶのは母の実家の便所。
離れにあって、木戸を開けると四角い穴が空いているだけの“どっぽん便所”.
ここは俺の縄張りである、とでも主張するように、いつも黒色の虻が穴の回りを旋回していた。
床は、小学生の身の重みでさえやっと支えるほどの薄い板切れ1枚で、嫌な軋みが一層心細さを煽った。
臀拭きは新聞紙であったり、凹凸のある塵紙であったり、それが紙製の菓子の空き箱に納まっていた。
便所の穴を覗くと、不気味に黒々として、陽の射し具合によっては黄金色の水面がゆらゆら光って見えた。
黒々としたその穴から、何者かの手がにょろりと臀を撫でそうで、急いで用を足したのを覚えている。
夜中に尿意を催したら最悪である。
祖母、あるいは妹や弟を起こして便所に付き合わせた。
その便所には子供心に人間の及ばぬ世界を感じた。

便所神。
便所に居ると信じられていた神で清潔を好む神である。
雪隠神とも云う。
仏教では烏芻沙摩明王(うすさまみょうおう)と称して崇めている。
会津では、赤ん坊のお七夜を祝う時、産婆がその地方の風習の供物を持ち、雪隠参りをしたそうだ。
この日を赤ん坊が初めて外出する日として尊び、橋を渡らない近隣の三戸の便所を拝み回り、便所神のご守護で、赤ん坊が健康で幸福に育つことを祈る習いがあった。

古人は、身の回りの至る所に神が居ることを信じ、謙虚に生きたのである。

※便所神の説明は「会津大辞典」より引用。

9.矢沢永吉

2007年2月24日 日常
特別な矢沢ファンでもない。
歌も滅多に聴かない。
それでも、矢沢が歌う曲には、正直、惹かれてしまう。

還暦を迎えるお袋が、最近、矢沢の歌を聴き始めた。

以前は、小型のラジオチューナーでラジオを聴くだけだったが、音が途切れる、電池がすぐなくなるなどの繰り言を聞かされて、それで思い出して、私の部屋に眠っていた従妹から貰ったお古のラジカセを引っ張り出し、それを預けた。
機械音痴のお袋にFM、AMの切り替え、チューナーの合わせ方を説明すると、早速、使い始めた。
当初は、ラジオしか聴いていなかった。
ところが、実家に遊びに来ていた妹がカセットテープを使えることを知り、次に訪れた時には、矢沢永吉、長渕剛、南こうせつの昔のテープを持って来て呉れた。
それからと云うもの、愚息の出勤後は、専ら、優雅にテープを聴きながらティーを片手に、である。

お袋はこの3人の大ファンである。
「矢沢永吉、長渕剛からはパワーを貰って、南こうせつには癒されてるよ」
歌を聴き、鼻歌交じりで家事をこなし、お袋は言う。
「なるほどね」
私も胸の内で納得する。

矢沢の歌には、“粋(意気)”、“艶”がある。
年齢を感じさせない矢沢の顔からも“粋”な生き方が伝わって来る。

〜いいさ ほんの 思い 違い それで Go away,girl
24時間 持たない恋の 熱をさらって Southern breeze
顔見知りの 苦っぽさに Winkして Yes my love Yes my love〜

「矢沢のような爺になりてぇもんだ」
休日の午前中、茶の間の炬燵で矢沢の歌を聴きながら、安手の即席珈琲を啜り、淋しくなった前頭部を撫で撫でし、嘯く此の頃である。

※歌詞は「Yes my love −愛はいつも−」より 作詞/ちあき哲也 作曲/矢沢永吉
最近、「あー寝たなー」と云う実感がない。
空手の稽古後や自主トレの後は特にそうで、いつものように熱燗や芋焼酎を引っかけても、いけない。
神経が昂ぶっているせいだろうとおもっていた。

昨晩もそうだった。

新聞配達人がポストに新聞を落とす「ガタン」の音に気付くか気付かないかが熟睡度合の目安になるのだが、今朝は配達人の自動車のドアを開ける音、玄関に近づく足音、「ガタン」の音、一部始終が、実際目の当たりにしたような錯覚を引き起こす始末だ。
やれやれ。

その前には変な夢を2度見た。
1度目は、炬燵を挟んで誰かと話しをしていた。
相手は、こともあろうに安倍首相。
政治談義をしていたのだ。
いやはや恐れ入る。

2度目は、サスペンス映画の一幕のようで、寝ている自分(主役)がこれから連続殺人犯に殺されようとしている場面。
狸寝入りしている眉目秀麗な主役。
仰向けに寝ている主役の頭側から、互い違いになる形で犯人の顔がぬうっと現れ、タオルを広げ覆いかぶさる。
殺しの手口は、口鼻を圧迫しての窒息死。
犯人は女だ。
髪は白っぽく、外国人っぽい。
不気味ににたりと嗤い、顔がかぶさる。
タオルが顔を覆う前に、主役がパッと目を見開き、犯人の顔面に渾身の右正拳突きをぶち込む。
寝ていたベッドがドンと音をたて、それで目が醒めた。
現実に、宙に突きを放っていたのだ。
その反動でベッドが鳴った。

変な夢を見て、目が醒めて、寝返りを何度も打って朝を迎えた。

寝ぼけ眼で、よく回らない頭で、何故寝つけないのか考えたら、礑とおもいあたった。

コーヒーの呑み過ぎ。

いやはや。
チン。
戸川幸夫著「高安犬物語」に登場する地犬(特定地域のみに生息する犬)の名である。
著書の冒頭に、高安犬は山形県東置賜郡高畠町高安を中心に繁殖した中型の日本犬で、主として番犬や熊猟犬に使われた、と記述がある。

「高安犬物語」は、チンと猟師の吉蔵、青年時代の著者との交流を描いた動物文学である。

人間の感情の機微を敏感に嗅ぎ取り、いざ獣と戦闘になるや電光石火の如く、凄まじい勢いで獲物に飛び掛かり鋭い牙を喰い込ませる。
繊細にして大胆不敵な性質を併せ持つ古武士然とした犬。
そんなチンのような犬を飼いたいと思うが、その資格は、今の私にはない。

戸川文学の影響にも因るが、地犬の優れた性質には身震いするほどの衝撃を受けた。

飼い主に手招きされても尻尾を2、3度振る程度の無愛想ぶり。
道の中央に寝そべり、車が向かって来ても素知らぬ顔で、警笛がなってようやくのそりと立ち上がり、運転手に一瞥をくれて立ち去る太々しさ。
人間の赤ん坊の子守を任されるほどの信頼を受け、幼子に耳を掴まれ、尾を強く引っ張られても決して牙を向けず、ただ迷惑そうな顔をしてすごすごと立ち去るだけの従順さ。
一旦猟に出れば、幾日も雪山を彷徨する強靭な体力を示し、熊に対して一歩も怯むことなく、相手が斃れるまで喰らいつく猛々しさ。

普段はのっそりとして目立たず、しかし、いざとなれば驚くような真価を発揮する燻し銀のような渋さ。

高安犬は絶滅した。

昔、会津にも“会津犬”が生息していたように、全国各地に地犬が存在したが、ニホンオオカミと同じような運命を辿り絶滅した。

小型の柴犬を始め、日本犬が国の天然記念物に指定されていることを知らない人は意外に多いだろう。
現存している指定犬種は、指定順に秋田犬、甲斐犬、紀州犬、柴犬、四国犬、北海道犬の6犬種。

日本犬の歴史については詳らかではないが、秋田犬に関して云えば、元来、中型のマタギ犬だったものが、江戸時代に秋田領内の領主が、家臣の闘志を養うために闘犬を奨励したことにより、より大きく強いものへと他犬との交配によって大型化された。
明治に入ると闘犬熱に更に拍車が掛かり、グレートデンやマスティフなどの大型洋犬との交配が進み、地犬の特徴は失われていった。
人間の飽くなき欲望によって雑化した秋田犬。
片や、それを危惧し始めた良識ある人間によっての保存活動が実を結び、昭和6年、日本犬として初めて国の天然記念物の指定を受けた。

ところが、またしても受難の時代が訪れる。
日本犬にも戦争と云う化け物が大口を開けて待ち構えていたのだ。
軍部の命令で食糧難や物資不足の理由から、犬の毛皮や肉の供出を余儀なくされ、その数は激減していった。
そして、追い打ちをかけるように、洋犬が持ち込んだ伝染病ジステンパーの蔓延によって多くの犬が死んだ。

何を基準にして純血種と云うのか、専門外の私が知るところではないが、天然記念物の指定を受けた現在の日本犬種に、完全なる純血種を見ることは無理だろう。

明治、大正、昭和と年号は変わり、人間を取り巻く生活環境も大きく様変わりしたが、取り返しのつかない、有相無相の、多くのものを喪っていった。
 
全国的に知られている犬の話に触れる。
忠犬と云えば、ハチ公。
渋谷駅前のハチ公の銅像は待ち合わせの目印として夙に有名だ。
実物のハチ公は、新聞の切り抜き写真で見る限り、耳は半立ちで尾は垂れ下がり、冴えない犬であるが、秋田犬の純血種に近いとされる。
よく見れば、顔付きにほのぼのとした懐かしさを滲ませている。

ハチ公は、関東大震災の翌年、大正12年に秋田県大舘市に生まれる。
東京帝国大学教授の許で飼われるが、ハチ公生後2歳の時を待たずして飼い主が急逝。
主人が亡くなったことを知らずに、ハチ公は雨の日も風の日も毎日、改札口で主人を待ち続ける。
数年後、改札口で亡き主人を待つ老犬となったハチ公を、心ない人間たちが邪険に扱っていた。
その哀れな姿が朝日新聞の記事となり、一躍、時の人ならぬ時の犬になった。

実は渋谷駅近くの、屋台の焼き鳥屋の餌を目当てにして通ったとも云われている。
動物のハチ公に主人が死んだ事実を理解出来るはずもなく、主人と過ごした17ケ月を優に越す月日を、只々、主人を待つためだけに通い詰めたとは俄かに信じ難い、とも思う。

後世に美談として伝えるために事実を歪曲することや、口を閉ざして語らずの隠された事実はままあることだが。
ふと、“悲劇の白虎隊”が脳裡に浮かんだ。

ハチ公の本音を知ることが出来ない以上、あるいは、人間の及ばぬ叡智が働いていたのかもしれない。
主人を待つためだけに。
それが事実としたら、主人に逢えず帰る道すがら、ハチ公はどんな想いだったのだろう。
ある種の人間が言う“莫迦な犬”とは簡単に割り切れない想いがある。
現実性に乏しい人間の世迷い言なのか。

私は、“鉄兵”、“太郎”と云う名の二匹の犬を飼い、殺した。
だから、犬が逃げ出しても捜そうとしない飼い主や、野山に捨て去る飼い主、虐待する飼い主、行政施設に犬の殺処分を依頼してガス室(窒息によって死に至らしめるため大きな苦痛を伴う)に送り込む飼い主たちを批難することは出来ない。

同じ穴の狢だ。

二匹の犬の、それぞれの今際の際、悔いても悔いても悔い切れない後悔の念が突き上げ、吼えるように犬の名を叫んだ。

「莫迦野郎、今更遅いんだよ」
耳鳴りのように嘲る声が頭骨に谺した。

私には犬を飼う資格がない。
けれど、許されるものなら、罪を贖えるなら、もう一度犬を飼いたい。
犬の目線で、日々変わらぬ愛情を注ぎ込める人間になれた時に。

名前は、決まっている。

自分勝手だが、それが棺桶に片足突っ込んだ取るに足らぬ老後の、ささやかな望みである。

6.恵みの雪

2007年2月16日
地球は、まだ会津には慈悲深いようで、今朝、然して苦にならない雪が積もっていた。

会津の冬は、やっぱり長靴だナイ。
月が好きである。
特に冬の夜空は澄み切って、星は鮮やかに瞬き、思わず溜め息が洩れるほど幻想的である。
月は自然界を不可思議な力で導く。

満月であれば、「こりゃー儲けたわい」と一人ほくそ笑む。
空手の稽古後、自宅の玄関先でしばし天を見上げる。
太古の昔より、古人は月を身近に感じて生きてきた。
“月見でダンゴ”
昔の人は何と粋な生活をしていたのだろう。
この歳になって伝統行事の良さが分かるようになってきた。

ここで月の話を一つ。

昔々、仲の良い猿と狐と兎が助け合いながら暮らしていた。
感心な獣たちの話を聞いた神様は天から地に下りてきた。貧しい身なりの年寄りになって。
お腹が空いて今にも死にそうな様子で、林の出口に座っていると、猿と狐と兎が仲良く歩いてきた。
神様は彼らに話しかけた。
「自分は幾日も何も食べていないので死にそうなほど苦しい。噂に聞けば、あなたたちは人間にも優る情の深い親切な獣たちだという。どうかこの哀れな私を救ってくれ」と訴えたのだった。
それを聞くと三匹は、
「それは気の毒なことだ」と言って、猿はすぐに林へ行き、木の実をたくさん集めてきて年寄りに食べさせた。狐は川原に行き、魚を獲ってきた。こうして猿と狐は大活躍をしたのに、兎だけがただあちこちうろついているだけで何もしてくれない。
神様は兎に向かって、
「お前様も猿さんや狐さんに負けないほど情け深いと聞いていた。どうか同じように哀れな私に何か恵んでくれないか」と頼んだ。
すると兎が答えた。
「自分とて同じようにあなたを気の毒に思うが、私には猿のような働きも出来なければ、狐のような知恵もありませぬ」と言ってしばらくじっと考え込んでいた。それから猿に向かって林に行って木の枯れ枝をたくさん拾って来てくれと頼み、それを積み上げてから狐に火を付けてもらった。
じっとその火が燃え上がるのを見ていた兎は、いきなり、その火の中に飛び込んだ。
「気の毒な旅のおじいさま、私は馬鹿で働きがなうて何もしてあげられません。どうか、せめてこの私の体の焼けるのを待って、この私の肉を食べてくだされ」と言うのが兎の最後の言葉だった。
なんと可哀相なことをしてしまったのだろうと、神様は泣く泣くその兎の焼け爛れた死骸を抱き上げて、そのまま天に昇っていった。そして、その兎の死骸を月のお宮に祀った。

3月4日は今冬最後の満月の日。
どうか晴れますように。

*猿と狐と兎の物語は、福島民報連載中の工藤美代子著「恋雪譜」文中の相馬御風著「良寛坊物語」より引用。
雪がねぇ。
寒ぐねぇ。
へんてこりんな冬。

昨年も雪が少ない暖冬傾向にあったが、今冬はまた特別。
12月、1月と経過し、まさか2月には1、2度はまとまった積雪があるだろうと高を括っていたが、どうしたことだ。
天気が良い日には、軒先や小枝に細かな羽虫が固まって舞うことがある。
一瞬、もう春が訪れたのかと見紛う。

野菜なぞは、ハウス栽培の普及で人為的に季節感なしに食卓に並ぶが、魚は自然にそんな状況にあるという。
寒流、暖流の潮の流れが変化し、魚の旬が崩れているとか。

赤道直下地に付きものの雨季、乾季。
これも明確な差が曖昧になってきている。

オゾン層の破壊、オゾンホールの拡大は年を追うごとに膨らんでいると報告されている。

動物にいたってはどうだ。
外来種の輸入による在来種生態系の崩れも問題であるが、最近のニュースによれば、特定地域に棲息するオラウータンなどの希少種は激変する自然環境(熱帯雨林の減少など)に耐え切れず、25年後には絶滅すると予測されている。
 
あれこれ論えば切りがないが、これら全ての原因は我々人間にある。
天に唾したそのツケが、溜まりに溜まって反吐となって、今、地球にぶち撒かれただけのこと。

何もかもが曖昧模糊、そして、破滅的傾向にある。
自然界の調和が地球的規模で狂えば、それに属する人間も狂奔に走り自滅するのは自明の理。
最近の異常犯罪、場当たり的犯罪、いじめなどに少なからず影響を与えているのではないか。

今更、先進諸国が、二酸化炭素の排出規制を行い、企業などが地球に優しいエコ運動に取り組んでみても自然破壊のいかなる歯止めになるものか。
産業革命を踏んで経済成長を果たし、大層な情報化社会を誰もが享受する時代になったが、その過程において、計り知れない公害、私害という夥しい汚物を地球に垂れ流し、その上に成り立った現代社会である。

「もうこれ以上の発展は必要ない」
途中、誰もそう声高に叫ぼうともせず、安閑としてこの時を迎えた。

現在、飛躍的に経済成長している中国。
その姿は今の日本の40年前の姿である。
中国は、日本のその時と同じく、経済成長の汚物を垂れ流している。
中国の他にも多くの発展途上国が、我も我もと甘い蜜を狙って、べったりと口吻を涎で濡らし控えているのだ。

先進諸国は、散々にやりたい放題をやっておきながらも、自国の非を認めそれを生かして、いかに発展途上国の成長を健全に促すことが出来るのか。

先進諸国は発展途上国の破壊の上に成り立っている側面もある。
先進諸国は、その代価に見合った補償を継続する義務もあるだろうし、それに介在し恩恵に浴した企業にもその責任はあるだろう。

いずれにせよ、地球は紛う方なく破滅へ向かっている。
人間に譬える自然死ではなく、人為的死に向かって。

物質の豊かさと引き換えに自然を売り渡し、精神の荒んだ世の中を造り上げた大人たちは、まだ生まれぬ子供たちにどう説明し、釈明の言葉を並べるつもりなのか。
「多くの先人は、歴史を繰り返すばかりの薄ら莫迦のアンポンタンで、今の私たちはそれを拭うために歴史に学び実践しているところだ」と一人でも言える大人がその時に存在しているだろうか。

ともあれ、20年から50年先には堰を切ったようにどっと人間の悪業の禍々しい濁流が地球を呑み込むことだろう。
地球の破滅を、個々が現実的に予測した時、以前にも増して我欲に走るか、あるいは自分の良心に正しく生きるか。
見ものである。
自分自身も。
偽物の化けの皮が剥がれ、素の、裸の人間が現れる。

如何に生き抜くかは各人の勝手だが、それによって地球の寿命は何ら変わるものではない。
車谷長吉氏風に言えば
「ざまぁみやがれ」だ。

会津の、春のような莫迦げた、へんてこな冬の日、思った。
私はお燗名人である。
とは言え、料亭とやらでお燗番の修業を積んだ訳ではない。

先日、仕事を休んで「お燗名人」育成講座の講習を受けただけの話。
会津のS酒造主催の講習会である。

内容は、午前中の一時間程度、日本酒の何たるかを「お燗名人」認定講座インストラクターの講義に学び、昼食を挿んで午後から日本酒4種類の利き酒、最後に修了テストといったもの。講座に要する時間は2時間30分程度(昼食時間を除いて)。

日本酒は、昭和49年の消費量(1,000万石=1升瓶10億本)をピークに、現在はその半分以下に落ち込んでいるという。
発泡酒、焼酎に押され、日本酒の低迷ぶりが指摘されて久しいが、その打開策の一つとしてS酒造が独自に日本酒の普及、啓発に励んでいる。
講習会は、県内4会場(会津・福島・郡山・いわき)を定期的に廻り、今回で18回目を数える。

さて、燗酒が温度によって何種類に分けられるかご存知だろうか。
私はてっきり熱燗、温燗のみと思っていた。
講義では6種類と説明を受けた。
30℃の日向燗に始まり、5℃上がる毎に人肌燗、温燗、上燗、熱燗、そして55℃の飛び切り燗。
実際に湯煎で山廃純米酒、普通酒、本醸造酒、大吟醸酒の4種類を常温、35℃、45℃、55℃で飲み比べてみたが、10℃上がるだけで甘味、まろやかさ、香りに違いが出るのが分かる。
どの温度状態が旨いか、受講者の挙手で確認したが、大吟醸酒を除いては45℃、55℃が旨いと結果が出た。
大吟醸酒はさすがに全員一致で常温が旨いと。

燗酒は、アルコールの回りが早いため呑み過ぎないから身体に優しいし、酒の旨味が引き立つ。
燗酒は日本独特の文化である。

受講修了の仕上げとして筆記試験を行い、めでたく受講者全員、「お燗名人」の認定を受けることが出来た。
S酒造の社長手ずから認定証2部(額付A4版サイズと免許証サイズ)、会津本郷焼きのお燗器セット、お燗メーター(温度計)を頂いた。
これらの品と昼食弁当が付いて受講料1,000円とは安い。
「職場を休んで良かったわい」と独り言ちたのは私だけでなかっただろう。

S酒造のこの取り組みは、遊び心があって、力の抜き加減がほろ酔い気分のようで気負いがないところがいい。
今後も地道に回を重ね、燗酒、日本酒の良さを広めてほしいものである。

自己酒歴はひけらかすものではないが、身体が素直に酒を旨いと実感したのは20歳の時。
汗がじっとり粘つく夏の熱帯夜、アルバイトが一段落して無性に喉が乾き、自動販売機で躊躇わずにボタンを押し、その場でプルタブを引き、一気に飲み干した。
ゴクゴクッと喉を通った瞬間の旨さと云ったら何とも言いようがなかった。

ビールで酒の旨さを知り、ウィスキー、テキーラ、ワイン、焼酎などに親しんだが、30代後半まではどうしても日本酒には馴染めなかった。
40歳を界にして、日本酒が心底旨いと呑めるようになった。
五臓六腑に染み渡るとはよく言ったものだ。
この急激な変化は自分でもよく分からない。
眠っていた農耕民族の遺伝子が、突然、目醒めたようだ。

若い頃、日本酒には年寄りが呑むものと爺臭いイメージが漾っていたが、自分もそんな年代に達したのかと一抹の寂しさを感じながらも、そうではなく、日本酒は、人生の甘い辛いを舐めた成熟した大人が呑む酒なんだと思えるようになってきた。
自分なぞは高校時分から一向に成長しない精神構造であるが。

「お燗名人」育成講座の晩は、お燗器にお燗メーターを差し込んで、好みの設定温度で湯煎の燗酒をチビリチビリと楽しんだことは言うまでもない。

*お燗名人講座に興味がおありの方はご連絡ください。
連日、柳沢厚労相の不適切発言が取り沙汰され、女性議員、野党らの辞任要求が姦しい。
野党は国会の審議を拒否し続けていたが、ようやく明日から審議が再開されるとか。
当初、私もさっさと辞任すべきと当然のように考えていた。
大臣の言葉ではないなと。
首相が厚労相を庇う理由も、自民党総裁選の時に自分の選対本部長だった柳沢さんへの恩義があったことや、自らの任命責任を問われることなどの思惑からだろうが、それはそれで割り切るべきだと。

ところが、某TV番組で六星占術の細木数子さんのコメントを耳にし、考えが変わった。
乱暴な言動に対しては以前から快く思っていなかったものの、細木さんの話す内容は的を得ていて「なるほど」と感心することしばしば。

この件について細木さんは次のように述べていた。
「柳沢厚労相の言葉は良くないが、発言した後に本人はすぐ謝っている。それを鬼の首を獲ったように、ここぞとばかりに国民の代表を嵩に、女性議員が声高に辞任要求している姿は何事だ。誰が貴方(女性議員)達を国民の代表と認めているのか。チャンスを与えることが大事ではないか。日本はそれさえも許さない国なのか。いい加減にしろ。」と。
多少言い回しが違うかもしれないが。

物事には許されることと許されないことがある。
単純にそう考えれば柳沢厚労相の場合は許されるケースではないか。
ある程度の許容は必要だろう。
国を動かすべき人間が、柳沢厚労相のような立場に置かれた人間の名誉挽回の芽を摘み取るということは、それはそっくり現代社会に反映され、人間関係を益々ギスギスしたものにし、弱者を益々社会の隅に追いやり、結果、思いやりのない社会が出来上がる、否、もう出来上がっているかもしれない。
これは強引な思い込みだろうか。

首相の再チャレンジ政策とは別の話だが、「人生は敗者復活戦」、本人がやる気になればいつでもチャンスは与えられる、そんな社会にしてほしいものである。
受験戦争で挫折しようと、就職浪人で挫折しようと、再び同じ人生の土俵に立てる社会。
そうなれば譬え今は不登校児やニートの境遇にあろうとも希望の目を閉ざすことはない。

柳沢厚労相の件よりも国会議員がだらしなく思うのは、互いの党の足の引っ張り合いに終始し、やれ政治献金だ、やれ事務所経費問題だと国会議員の質の問題が槍玉に上がり、本来優先させるべき日本の将来を見据えた政策審議をせずに時間と税金を無駄に、厚生年金問題や社会保険庁の不正に対して官僚への断固たる責任追求もうやむやにしてしまっていることだ。

子供達は見ている。
範を垂れるべき人間が率先して悪事を働く世の中に未来はない。

「金儲けや名誉のために政治家になる」と子供達が口にするようになってはあんまりではないか。

「さすが国会議員、さすが学校の先生」と言われて本当なのに。

今後も柳沢厚労相辞任要求は続くだろうが、名誉挽回、ここぞチャンスの想いで乗り越えてほしい。
そして、野党議員には、優先すべきものは何なのかを肝に銘じ、いつまでも政治家の資質を問うくだらない茶番劇で国会審議を無駄にしてほしくないものである。

さて、最後に話はぐるっと変わり、細木さんの番組を観て思い付いたが、細木数子さんと“オーラの泉”の美輪明宏さん、江原啓之さんがお互いを鑑定する番組が放映されればおもしろいと思うのだが。
そう思うのは私だけでしょうか。
初のブログ開設。
いやはや、まさかこんな運びになるとは思わなかった。
ねずみ先輩の勧めで始めたものの、さてさてどうなるやら。

ブログ自体、何の意味かも分からず、パソコンはもっぱら文書打ち込みと簡単な表の作成のみに使用し、時折、調べ物をする時にネットを開くぐらいだったのに。
それで充分満足、と言うか、仕事上必要なければ使いたくない代物だった。

功罪相半ばす。
パソコン、携帯電話、ネットの普及で様々な恩恵に浴しながらも、どれほどの人間が犯罪に巻き込まれ泣きを見たことだろう。
そんなニュースを目にする度に憎々しいぐらいに思っていた。
意に反し、憎々しいそれらを日々使っている自分を棚に上げながら、だが。
結局は使う“人間”が悪いのだが。

兎にも角にも、この機会を、この場を、自分の想いがそのまま文章に反映されるようその練習だと考えて、今後、キーボードに自分の言葉を打ち込んでみたい。
自分なりの人生の物差しを持って想うがままに。
まあ、自分自身を一刀両断することがないよう気を付けよう。
嫌気が差したらいつでも止めよう。
その時は、ねずみ先輩、すいません。
予めお断りしておきます。

ブログ書き込み初回の感想。
何か自作自演の劇を観客自分一人だけが観ているような妙な心持ちである。
融通が利かない石頭の人間の文章、やはり、固い。
回を重ねる毎に幾らか文章が熟れ、人間的に丸くなれれば幸いである。
初回はこの辺で。

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